鯰の絵が流行した

江戸っ子気質と鯰絵

角川学芸ブックス 著者:若水俊出版社:角川学芸出版/角川グループパブリッサイズ:全集・双書ページ数:235p発行年月:2007年08月この著者の新着メールを登録する【内容情報】(「BOOK」データベースより)安政の大地震直後に誕生した鯰絵は、滑稽と風刺に満ちており、当時の江戸っ子に大歓迎された。大地震に見舞われた江戸っ子は恐怖を笑いで吹き飛ばしたのだ。しかし、人々を熱狂させた鯰絵はあっという間に姿を消してしまう。謎につつまれた鯰絵が生み出された背景とその人気の秘密を、江戸の庶民文化の成熟や江戸っ子享質などの視点で探った意欲作。

黒船に乗ったペリーが来航した1853年(嘉永6年)の2年後です、江戸時代末期に安政の大地震が起こりました。江戸は甚大な被害を起こしました。死者1万人ともいわれ、規模はM6.9だったのではないかといわれています。

そして奇妙なことに、それをきっかけに江戸で鯰の浮世絵が流行したのです。鯰はその張本人という信仰から生まれたのですが、絵師や版元は、ナマズの浮世絵を使って世の中を風刺しました。

鯰が起こしたことを神様にわびたり、おかげで仕事が増えて人々に感謝される鯰の浮世絵とか、「安政町神無月屋」という浮世絵では、鯰の顔した男が、周囲の人々から腹いせに殴るたたく場面など、といったユーモアあふれる浮世絵の鯰絵が大量に出回りました。

一説によると400種類にも上ったといいます。とてつもないおおきな災害を体験した江戸の人たちは、大変な経験をしたことを逆手にとり、笑い飛ばしたのです。

おもしろいのは刷りが通常より荒くて、版元や浮世絵師の名は無記名だという点です。混乱状態の中での浮世絵出版ですから、その無秩序さがわかります。

鯰の絵 入手できる?

世の中が変わりつつある雰囲気の中、江戸にはまだ笑い飛ばすエネルギーがあったのです。しかしあまりに鯰の絵がはやったため、世の活況を恐れたのか幕府はその鯰絵の浮世絵を取り締まりをはじめました。そしてやがて終息していったのです。

やがて明治に入り忘れ去られた鯰絵ですが、近年になって再発見されるようになりました。美術的に加え当時の資料的価値の高さもあり再び注目されています。鯰絵に関する本もいくつか出版されています。

9月頃になると防災の日という節目も手伝って、美術館や博物館でちょっとした企画展を催すこともあるので、チェックしてみてはいかがでしょうか。所蔵は筑波大付属図書館や埼玉県立歴史と民俗の博物館などが数十点ほどありますし、他の美術館でもあると思いますね。個人でもコレクションしているかたもいます。

いまでも浮世絵専門店で当時のものは手に入るでしょうか。とても気になりますね。なんともいえませんから、神田神保町あたりのお店に聞いてみてはいかがでしょうか。

鯰絵とは

鯰絵とは、江戸末期に突如おこった安政の大地震をきっかけに、江戸中ではやった鯰を題材に世を風刺した浮世絵です。どんなことが描かれているのでしょうか。現代でも入手できるといいですね